埼玉の魅力を伝えたい~渋沢栄一記念館~
11月の紅葉がきれいな頃、深谷に行ってみました。
なぜ深谷かって?
それは渋沢栄一記念館に行くため。
ご存じの通り、渋沢栄一は次の1万円札。
正直、日本史は中学までしか勉強しておらず・・・。なぜなら高校生の時は世界史にハマっていたから。
日本史にはあまり興味がなかったんです。
そんな私がなぜ渋沢栄一記念館に行こうと思ったのか。
次の1万円札が渋沢栄一になりますっていうニュースを見ていて、「え、誰それ?なにした人・・・?」と思って調べてみたら・・・
「この人すごい人じゃん!しかも、埼玉出身じゃん!!」ってなったのがきっかけ。
それに加え、「2021年の大河ドラマにもなるの!?しかも主演は吉沢亮くん!?これは渋沢栄一について学ばなきゃ!!」と思ったわけです。笑
ということでJR高崎線に乗り、深谷駅へ。
注)ここからの道のりは割と行き当たりばったりです笑
深谷駅といえば、東京駅にそっくりな外観。
レンガづくりが有名ですね!
私が行ったときには工事していて残念ながら見れなかったのですが・・・。
深谷駅に着くと、めちゃくちゃ渋沢栄一推し!!!
旗とか看板がたくさん!
そして駅の階段を下りて行くと、
ふっかちゃんが!かわいい♪
ここから実は記念館まで歩いていけないかなーと思っていたのですが。。。
結構駅から遠いんですよね。。。調べてみたらどう頑張っても歩いて1時間以上かかる・・・。無理だな、これは。と思いました。
土日は渋沢栄一に関係している場所を回ってくれる無料バスが走っているそうなのですが、私が行ったのは平日。
ゆっくり見たいし、平日は土日に比べて空いているんじゃないかなと思ったのと、そのバスの存在を知らなかったっていうのが本音です笑
ということで、タクシーで行くことにしました。
タクシーに乗って「渋沢栄一記念館にお願いします。」と伝えると、運転手さんが「記念館に行くならその前に生家は行かないの?」と。
記念館に行くことしか考えていなかった私は「生家・・ですか?近いんですか?」って感じで。(本当に行き当たりばったり笑)
運転手さんによると生家から記念館は一本道で歩けるんだとか。
そういうことなら、せっかくだし行ってみよう!ということで生家に向かってもらうことにしました。
そして到着。
こちらの生家には入ることができて、そこにいろんな資料が置いてあったり、ビデオが流れていたりしていました。
この生家の奥に進んでいくと蔵や石碑などもあり・・・。
私がフラフラ見ていると、そちらにはボランティアの方々がいらして、いろんなことを説明してくださいました。
渋沢栄一の両親のことや、生まれのこと、見立て養子だった渋沢平九郎は歴史上の偉人で新選組の土方歳三に次いでイケメンだったってことが某テレビ番組で紹介されたなんてことも教えてくれました。
(調べてみたら、たしかにイケメンでした。笑)
いろいろな話を聞いた後、元々の目的であった記念館へ。
生家から記念館へは川沿いを歩いてまっすぐ。
歩いていたら、いくつか看板が立っていて・・・
こんな感じの渋沢栄一の名言がたくさん。
一つ一つ読みながら、いい言葉だなーなんて思いながら、歩きました。
そして記念館へ到着。
この記念館を見学していて思ったこと。
それは渋沢栄一って時代を跨いで生きていた人なんだなーということ。
記念館には若いころから晩年までの渋沢栄一の写真や等身大パネルがあり、若いころは武士の服、晩年のころは洋風なタキシードというのをみて、なんだか同じ日本なのに不思議な感じという印象でした。
江戸の幕末から明治、大正、昭和初期まで生きていた人ですからね。
(この時代にしてはとても長生き!!)
貴重な生音声も残っていました。
(記念館で聞くことができます!)
渋沢栄一は尊攘志士から幕臣、政治家、そして実業家として日本の経済の父と言われるくらい500社もの設立や経営に関わっていたということで有名ですね。
某会社に勤めている私の友達も、「会社に銅像があって、あれは誰なんだろうって思っていたら渋沢栄一だった!」と言っていました。笑
記念館で解説ビデオを見ていて、ほかにも社会貢献にも力を入れていたり、他国との交流も大切にしていたりなど、本当にいろんなことをやってきた人生を生き抜いた人だったんだな、そして平和を誰よりも望んでいた人だったんだなということが分かりました。
でも渋沢栄一が亡くなってから戦争に入っていってしまった日本・・・。
天国から悲しんでいたのではないかな・・・。
そして一通り記念館を見学して、記念館の裏側に出てみたら!
でっかい銅像が!!
(等身大の渋沢栄一はちっちゃかったけど。。。笑)
実は川沿い歩いているところから見えてはいたのですが、近くでみたらめっちゃ大きかったです笑
記念館をあとにし、駅に戻ろうかと思っていたのですが、ほかの場所にも渋沢栄一に関係した場所があるということで、そこから今度は歩いて清風亭と誠之堂に向かってみることにしました。
(清風亭と誠之堂までは記念館から40分くらい歩きました・・・。)
歩いている道中には尾高惇忠の生家もありました。
(残念ながら時間があまりなく、私は写真を撮っただけでしたが・・・)
尾高惇忠は渋沢栄一に論語を教えていた師ですね。
そして清風亭と誠之堂に到着。
建物の写真は撮ってないのでもらったパンフレットの写真を・・・
ここでもボランティアの方がいていろんな説明をしてくださいました。
誠之堂は渋沢栄一の喜寿を記念して建築された建物。
清風亭は当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助という人の古希を記念して誠之堂と並べて建てられたものだそう。
どちらもレンガ造りやステンドグラスなど、洋風できれいな建物でした。
一つ一つの装飾にこだわりや意味がある建物でした。
どちらも元々は世田谷区に建てられたそうなのですが、現在は深谷市へ移築されていて、その移築時の痕跡も残っていました。
こちらも一通り見学して、駅に戻ることにしました。
ここからは駅までのコミュニティバスが走っているということで、それに乗って帰ることにしました。
実はもう一か所、旧煉瓦製造施設というところがあり、行ってみようと思っていたのですが、時間がなく、場所も少し離れたところだったので残念ながら今回は断念しました。
渋沢栄一のことをよく学んだ一日でした。
一万円札が新しくなることと来年の大河ドラマが今から楽しみです。
それから深谷といえば深谷ねぎ。
この日には食べなかったのですが、後日食べてみたら普通のねぎよりも甘くて美味しかったです!
今回はこの時に聞いた話や見たことを思い出しながら書いたので、説明がとてもざっくりですべてではないですが・・・。
渋沢栄一って誰?と思った方、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
深谷ねぎって食べたことない!という方、是非食べてみてください!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。